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共感の功罪
自分が信じる「価値」への共感は嬉しいし、活動の推進力となり得るけれども、たとえ共感を得られなくてもその「価値の絶対値」が下がるわけじゃない。
価値観を自分のモノサシで測れていないから、他人からの承認を求め、共感の有無で価値を確認しているのではないだろうか。
いじめや争いの要因も実はここにあるのではないかと思っていて、自分の価値観に『共感を得られないこと』への不安が恐怖に変わり、最終的には排除に向かうのではなかろうか。
あなたの価値観には共感していないけど、あなたが「それ」に価値を感じていることは理解できる、というところまで達すると、みんな心地よく生きていけるのになぁと思う金曜の午後。